朝一番はマイソールの市場の見物に出かけた。海外旅行ではローカルの市場に出かけるのは何とも楽しいものだ。

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先ずは朝ご飯をササっと食べる。

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目的のテーヴァーラージ・マーケットに到着した。バザールといった雰囲気で興味深い。

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わー、これってバナナの「競り」なんでしょうね。



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このオバチャンは「眼力」があり迫力あるなあ。

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市場の後は、マイソールについて少し確認しておこう。

(Wikipedia)

マイソールはインド南部カルナータカ州で2番目の規模を持つ都市。 カルナータカ州の州都バンガロールから南西146kmの位置にある。かつてはマイソール王国及びマイソール藩王国の首都として知られた。

 

インドの伝統工業地帯のひとつであり、絹サリー、白檀、香油、象牙などを産する。 都市南部のチャームンディーの丘、およびその頂上にあるチャームンディーシュワリー寺院はヒンドゥー教徒の巡礼地としても名高い。

 

マイソールは1947年までマイソール王国の首都であり、18世紀にハイダル・アリーとティプー・スルターンが支配した時期(マイソール・スルターン朝)以外はオデヤ朝に支配されていた。 オデヤ家は芸術を後援しており、これがマイソールの文化面での成長に大きく寄与しており、マイソールが文化的首都と呼ばれる背景にもなっている。

 

ヴィジャヤナガル王国の統治下においては、オデヤ家の治めるマイソール王国はヴィジャヤナガル王国の封建国であったが、1565年にヴィジャヤナガル王国がターリコータの戦いで敗北し衰退すると、マイソール王国は半独立の立場をとるようになった。

 

1610年にラージャ・オデヤ1世がシュリーランガパトナを治めるヴィジャヤナガル王国の総督を追放すると、シュリーランガパトナがオデヤ家による支配の中心となった。

その後王国を支配したティプー・スルターンにより、オデヤ家による統治の痕跡を消すため、マイソールの街のほとんどは一度取り壊されている。

 

だが、1799年にティプー・スルターンが第四次マイソール戦争で戦死すると、マイソールは再び王国の首都となった。

 

この際、イギリスの保護の下で再建されたマイソール藩王国の君主クリシュナ・ラージャ3世はまだ幼なかったため、政治はディーワーンのプールニヤーによって行われた。プールニヤーはマイソール市街の発展に関する功績で知られており、特に公共事業が有名である。

1831年、イギリスの行政官Mark Cubbonは王国の統治紊乱を理由に内政権を接収し、藩王国を中心をバンガロールに移し、マイソールは藩王国の支配の中心としての地位を失った。  

 

だが、1881年になるとイギリスは権力を藩王チャーマ・ラージャ10世に返還し、マイソールは再び藩王国の首都となった。 マイソールの街は、マイソール宮殿とともに1947年までオデヤ家による支配の中心であり続けた。

 

インド独立後、マイソール市はマイソール州の一部となったが、マイソール藩王チャーマ・ラージャ11世は肩書を持ち続けることを許され、また州知事にも指名された。 彼が1974年に逝去した際には、マイソール市において火葬されている。

 

その後、マイソールは観光の中心として有名になり、また時折発生するカーヴェーリ川の水の分配に関する論争に関係した騒ぎを除けば、非常に平和な都市となっている。



昨日見たシュリーランガパトナはイギリス軍の包囲され、当時の王であるティプースルタンは戦死していたので、マイソール王国のその後の栄華を示す豪華な宮殿がマイソール市内に残されているのは少し理解できないでいたが、上記のWikipediaの解説を読んでようやく理解できた。

「藩王国」なんて今まで意味を知らなかったが今回勉強出来て良かった。要はイギリスはインドを植民地化するものの、その統治下で一定の支配権を認められた地元の王様「藩王国」なるものが存在したようで、マイソールは正にそれだったのですね。

市場の後はマイソール宮殿の見物に出かける。入り口は南門の1か所しかなかったので、暑いなか宮殿をぐるりと半周した。

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ようやく入口に到着。

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ガイド本情報では「入場料は外国人料金で200ルピーであり、宮殿内の写真撮影は禁止」でしたが、実際は、入場料は50ルピーでしたし、宮殿内の写真は撮り放題でした。たまにはこんな嬉しい事もあるもんです。

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宮殿が完成したのは1912年と新しいので綺麗と言えば綺麗な宮殿でした。宮殿完成前にマイソールには電気が開通していたので、宮殿内は電気による照明が当時から採用されていたそうだ。

ここを見れて良かったですが、個人的にはやはり無言で歴史を語る暗く埃っぽいものの方が興味はありますね。

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マイソールの観光はこれにて終了。

これからどうしようか。更に前進して、世界遺産や歴史的な町の訪問も何度も脳裏をかすめたが、「また来れば良い」と言い聞かせて、そろそろ後退する事にした。

夜まで宿で休憩し、夜行バスで帰国便の出発地であるコチに向かう事にした。

宿では、ベットさえ返還していれば、共用スペースで夜までゴロゴロしたり、シャワーを使っても何も文句言われなかったのでありがたかったですね。バックパッカーの事を良くわかっている宿だと思う。

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バスターミナルで夕食。

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バナナがかなり美味しい。パインはフィリピンのほうが旨いが、バナナはインドの方が上な気がする。

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